セラピストはどんなひと?

シッディランカ セラピストの青山 みきです。(通称:ミーシャ)

 

1977年 梨が産地☆千葉県鎌ヶ谷に生まれ育つ

 

ZOZOTOWNの前澤社長や今輝くジェーンフジオカも同じ鎌ヶ谷市出身ということに勝手に親近感、ちょっと鎌ヶ谷やるじゃん。と思い上がっています。

 

見た目がクールで、一見怖そうに思われがちですが、そんなことはまったくありません。

よく間違って言葉を覚えていることが多いので天然と間違われるのが悩みです。

 

 

人生のターンニングポイントに焦点をあわせ、自分のことをさらけ出してお話したいと想います。

もし、ご興味がありましたらご覧ください☆

 

 

幼少時代☆ムツゴロウの家

父は大の動物好き

幼い頃は犬・猫・セキセイインコ・ニワトリ・ザリガニ・金魚・カエル・カメなど、たくさんの動物に囲まれて一緒に

生活をしていました。鳥を放し飼いにするもんだからわたしが赤ん坊だった頃、普通に踏みつけて殺してしまっていたそうです。(苦笑)

動物がいる生活が当たり前で、魚の水槽の掃除や卵が孵化した小鳥のエサやりをしたころを今でもよく覚えています。

カギっ子だったわたし、幼稚園児でも動物たちがいてくれたお蔭でおとなしく家族の帰りを待てる子でした。

 

9歳の頃、大好きな父が他界

初めて「死」と言うものに向き合った時でした。

子どもながらに、先の見えない切望感を味いました。

恥じらい、悲しみ、その奥には、何でわたし達を見捨ててしまったのという憎しみに似た感情など、幼いわたしには抱えきれないほどの想いが溢れでて、ガラガラと音を立てて何かが崩れ落ちていきました。

そして心の殻に閉じこもる時期が数年間続きました。相当つらかったのでしょうか、この頃の記憶は自分がどんな子で何をしていたかなど、ほとんど、覚えていません。

 

 

活発だった学生時代

中学生時代は、テニス部の副キャプテン

高校時代は、ラグビー部のマネージャーやサーフィンをして楽しんでました。

 

母親がパートタイマーのみの仕事だったため、あまりの給料の少なさに母からお金を受け取ることに罪悪感があり、「高校生になったら学費は自分で稼ぐ‼」と決め、中3のことからよく新聞の折り込みに入っている“求人広告”をみては、早く大人になりたいと考えてました。

やがて高校生になり、朝方まで掛け持ちバイトをする日々でした。

頑張った証に高校卒業と同時にバイトで貯めたお金で車を購入‼

 

しかし、事故2回、人身1回など、相手側に非がある事故(私が被害者)続き2年ほどで手放すことに。。。

それからは自分名義で車を購入するのはやめてます。

 

今思えば、モテ期は学生時代にすべて集中していたのかなぁ。(笑)

ちやほやされる時代があって食べ物やお金にも困らなく、人生って甘いもんだなぁ。と思っていました。将来の夢がまったく持てなかった時代です。

 

 

2回目の大きな転機

19歳の頃、こころから愛する人が出来ました。でも、彼とは出逢うのが早かった。。。。

若すぎたこともあり、お互い空回りや周りの人を気づ付けることが多く、取り返しのつかない大きな傷を背負うことになりました。

 

その時、生きていくことが辛く感じ、自分は何のために生まれてきて、一体何をしたいのだろう。そしてこんなことはいつまで続くのと。。。。

 

自宅には父(位牌)とお釈迦さまが居ます。

この頃から熱心に仏壇に手を合わせ、自らお経を読んだり、仏壇のお釈迦様を通じて自分を客観的に見つめる時間をつくる習慣ができました。

 

今までとの自分では考えられないほど、穏やかな人間に変わりました。

 

 

社会人となる。

結婚を意識した彼ができ、真剣に将来を考えた時、「一度は社会人経験がしてみたい‼」

夢が自分の家を持つこと‼

との想いから将来、家を購入する時、女だからってなめられないようにと大手不動産会社へ入社。

 

そこでは良い上司、先輩、後輩にも恵まれました。

まったくの無知さに恥じらいを感じている余裕はなく、必死に教えて頂けることを全て吸収しました。

 

決して賢い子ではありませんでしたが、(むしろ、上司が気になって心配するほど。)地主さんやお客様と心から接する姿勢を認められ、出世は早く、26歳から4年間仲介部門の店長を務めました。

 

そこでスタッフの育成の難しさを知り、スタッフが成長していく姿を見るのがいつも楽しみで誇らしくもありました。

将来、共に成長しながら、人材育成をする仕事が出来たらいいなぁと想えた瞬間です。

 

 

宝くじが当たる‼

いろいろあって長年、連れ添った彼と終止符を打ち、10年ぶりに実家での生活を再スタート切りました。

 

そのころ、年末ジャンボ宝くじは毎年1万円ほど購入していました。

ところがある年、100回記念の当選金100万円が100本あり、まさか、まさかの当選をしたのです。

ちなみにバラ売りで当たり🎯

 

今年はついているぞ‼‼と思い、その年は家族に厄年がいなかったこともあり、勢いで老朽化した実家を

壊し、新しく3階建てのピンクハウス(笑)を建築しました♡(もちろん住宅ローン)

 

ここまでのわたしの人生、振り返ってみると9の付く年、10年ごとに何かしら大きな節目があるように感じてきました♡つぎは39歳のときね♡ワクワク‼

 

 

まさか⁉胸に腫瘍が

不動産に勤務していた10年間、いろんな方の人生や財産を左右する立場に関わってきました。

時にはプレッシャーに押しつぶされそうになり、寝て次の日の朝には、このまま目が覚めなければいいのになぁと思う日も多々ありました。正直、半部以上は辛いことばかりだったと思います。

 

この頃のわたしは仕事第一優先の生活でした。

 

胸のリンパの異変に気付きながらも心の中で「ここで病気がわかっても困るわ~‼」

と身体の声を無視し続け、リラクゼーションの道に進む為、退社を決めていた年の最後の繁忙期に突入。

そして繁忙期を無事に終えて、初めて自分の胸のしこりの違和感に気づき、病院へ急いで向かいました。

 

「乳腺繊維線種」という病気でした。緊急手術して取り出してみると腫瘍が直径5cmもあり、Drも驚いてました。

今では胸のふくらみをキープする為の食塩水も跡形もなく消え、左胸はえぐり取られた傷が残り、

筋肉の一部がないので未だに胸を開くストレットをするときは、筋肉が引っ張られる違和感は残ります。

 

本当にこの時ほど、後悔したことはありません。あんなに仕事を必死にやってもなにもならない。。

仕事が私を守ってくれるわけでもないのに。。自分は自分で守ってやらなきゃと大反省。

この日を境にわたしは健康的な生活に興味を持ち始めました。

 

 

 

大内雅弘さんとの出会い

不動産退職後はリラクゼーションのスクールへ通い、インドケララ州へアーユルヴェーダ留学に行き、その後はタイマッサージに出逢ったりと、興味の持つことに触れて学ぶ日々が続きました。

 

豪華客船のセラピストや海外スパのセラピストに興味を持ち始めて調べているうちに大内雅弘さんの存在を知り、彼の発信すること全てに興味を持ち始めました。 彼からチネイザンを学び、心を開くこと、素直になること、そして勇気をもつことを学びました。

 

この頃に旅したスリランカへの一人旅をきっかけに、本来の自分の姿に戻ろうと決意したのです。

 

 

 

 

スリランカへ移住を決めた大きな理由

本来のわたしの姿はアーユルヴェーダに携わる仕事をすること。。。。

しかし、インド留学しただけでは独立する勇気がまったく持てないでいました。

自分に背を向けつつもなんとかセラピストの仕事は続けていました。

 

そんな勇気のないわたしは、どうしてもスリランカへ行きたい理由がありました。

「スリランカのアーユルヴェーダを受けてみたい‼」

周りにスリランカへ行った人もいなければ、スリランカ人の友達もいない、スリランカの情報は地球の歩き方だけでした。

 

 

 

はじめての一人旅。スリランカを2週間満喫してきました。

70%が仏教徒のため、お経に慣れ親しんできたわたしにとって心地が良かったです。

人、文化、食、気候、全てがわたし好み‼

 

そして、世界遺産ダンブッラで起きた出来事は今でも鮮明に覚えています。

 

ダンブッラにはいくつか洞窟で出来たお寺があります。

その中でも第二石窟寺院は56体もの仏像が並び、シーンとした空気感が何ともいえない。

まるで「天国」にいるようでした。

 

不思議な安心感に包まれ、浸っている時のこと。。。。

幼い頃亡くした父がわたしの左横にフワっと現れ、わたしのほほに一度だけ触れたのです。

その感触はとても柔らかくて。。。わたしは鳥肌と同時に涙があふれ出てきました。

父を亡くしてから何年も何年も「会いたい」と想い続けていましたから。。。。

 

 

そして、今度は父のそばに住みたいと想い、後さき考えずにスリランカ移住を決意しました。

 

 

ツインソウルとの出会い

スリランカ移住を決めてからは、川の流れに乗るようにスリランカにゆかりのある人との出会いが続き、導かれ、カルタラという街に住むことになりました。

 

きっと運命だったのだろう思うエピソードも多々ありますが長くなるので割愛します。

 

スリランカでの生活のサポートをしてもらう代わりに旅行会社のブログの更新のお手伝いをすることから始まったスリランカ生活。

その旅行会社の社長が今でこそ、わたしのツインソウルでもあるパートナー。

 

初めは、お互い性格が似ているので警戒心バリバリ。

「あ~、今、わたしのこと試しているなぁ」と感じることが幾度とあり、何度腹立てたことか。

お互い腹の探り合いみたいなこともよくありました。しばらく、わたしはこころを開けないまま。

 

2人が近づけば、大変大きな試練に襲われました。

わたしは何度もカルタラから逃げたくなりましたが、絶対にわたしを離さず、信じ守っていてくれたパートナーがいつもそばに居ました。

 

2年経った今では、、わたしにとって辛くて長いかった試練の峠が超えたような気がしています。

 

以前、パートナーがわたしにこんなことをいいました。

 

「みきはすぐ我慢するから心に溜めないで‼ なんでも私に話してください‼」

 

スリランカに住んでから早い段階でわたしにとっては魔法の言葉をいってくれたパートナーに 感謝しています。 

 

お蔭で今では、想ったことは良いことも悪いこともすぐに伝えられる関係です。最近では「あれ」「それ」だけの代名詞で何をさしているかわかるようになってきました。お互い年なので物忘れが激しく、言いものの名前が瞬時に出てこなくて。トホホ(涙)

 

  

最近の帰国時の機内でも泣かなくなりました。不安や悲しさ、寂しさは住む場所が離れていても感じなくなりました。

 

そして毎日安否の連絡は取り合い、お互いの身体を思やる余裕すらできてきました。

パートナーはわたしの体の一部、2人で1人前です。そろそろ、わがままばかり言っていないで労ってあげたいと想います。

 

現在はセラピストの仕事の傍ら、スリランカ旅行の日本人オペレーターの仕事をしています。

そして近い将来は、2人の夢であるこのカルタラの地でアーユルヴェーダ施設を造り、スリランカへ訪れる日本人の皆さんに喜んで頂ける場所を提供し、楽しいスリランカ生活を全力でサポートしたい‼と想っています。

 

 

本来の貴女を取り戻すためのセラピスト

森や滝、海など、開放的で非日常的な空間にいる時の感覚、こころは清々しく、からだもリラックスし、綺麗な空気をたくさん吸って自然と深呼吸したくなるような。。。

そして子どものようにキラキラとした無邪気な表情。。。。

 

このような気分にさせるセラピストでありたいです。

 

お客様からとの会話の中から

☑こんなにだめな自分を出しちゃっていいのかなぁ

☑みきさんのエネルギーをもらいに来ました

☑今日もすべてデトックスしていきます

☑すべてが疲れ切っているのでよろしくね

☑こんなにデトックスしちゃって大丈夫ですか?

 

とのお声を頂きます。。。。

すべてOKです‼ 

わたしがすべてあなたを受け入れ、寄り添いますから不要なものはドンドン出しちゃってくださいね。

 

そして本来の素直なあなたへ導くお手伝いをします。

一期一会の出会いと心を込めておもてなしさせて頂きます。

 

今更、気恥ずかしいですがこれがわたしの素です。

個人的な事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

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